bali/columnバリ島・有本圭コラム集
バリ島の属しているインドネシアは世界最大の親日国家といわれているのをご存知だろうか。日本人としてはヨロコビ以外のなにものでもない。そんな気持ちを知ってしまった以上こちらだって好きになっちゃうよな、素早くそんな心境になってしまう。好きといってくれる相手のことはやはりこちらとしても好きになってしまうというのが人間のサガなのだ。
では彼らはなぜ親日なのだろう。それを探る前にバリの車事情をみてみよう。
なんでいきなり車?とお思いでしょうが少々お付き合いを。
バリの道路に出た瞬間に気づくことがあるはずだ。道行く車がとことん日本車なのだ。ここまで日本車率の高い国はインドネシアを置いて他にはないだろう。もちろん日本における日本車比率など全く相手にもならない。統計を出したわけではないが、バリの道に出てみれば自明のことだ。これはバリに限らず、インドネシア国内、どこにいっても同じような状況となっている。
渋滞で暇を持て余している時にすれ違う日本車の数を数えたことがある。何台目で日本車以外の車がすれ違うか。なんとその時は146台目だった。146台目に韓国のKIAがすれ違った。そして147台目から再び日本車が連なって行ったのだ。
これは親日とはあまり関係ないかもしれないが、少なくとも嫌いな国の車には乗らないはずなので深層心理のどこかには親日も影響しているのではないだろうか。とまあ、こちらは余談なわけで、そろそろ本題に入っていこう。インドネシアの親日についての秘密を探っていこうと思う。
インドネシアが世界最大の親日国家といわれるには確固たるワケがあった。
これには歴史的事実が深く関係していたのだ。インドネシアは約350年にわたってオランダの植民地として摂取を繰り返されていたという悲しい過去がある。奴隷としての扱いを受け続け、人間としての尊厳、誇りを失っていた。
そんな折、第二次世界大戦が始まり、東南アジア方面へと勢力を伸ばした日本軍がオランダを打ち破ってインドネシアを統治することになったのだ。これまで絶対的権力と思われていたオランダがたった9日間でしかも同じアジアの有色人種である日本軍がオランダに勝利したことにインドネシア人も歓喜した。
それまで長きにわたって敷かれてきたオランダの愚民化政策(教育をせず、文盲にして知的抵抗を阻止する政策)を解き、教育制度を見直し、それまで禁じられていた共通言語(インドネシア語)教育を開始し、インドネシアの軍隊を結成、イスラム教制限の撤廃、道路、病院、学校などのインフラ整備など次々と新しい政策を打ち立てていった。
日本軍はインドネシア人を奴隷としてではなく、同じアジアの盟友として扱い彼らの誇りを取り戻すために尽力して行ったのだ。
しかし日本は第二次世界大戦で敗戦してしまう。日本軍がインドネシアから撤退するのを今か今かと待ちわびていたのはやはりオランダだった。彼らはインドネシアを再植民地化しようと虎視眈々と狙っていたのだ。
しかしインドネシア人は以前のような従順で無力な国民ではなくなっていた。共通語としてのインドネシア語で意思の疎通が図れるようになり、国の意思を1つにしてオランダ軍と戦った。その陰には焼け野原になってしまった祖国を諦めてインドネシアとともに戦った約3,000人の日本軍人の姿があったのだ。
彼らは日本からの帰国要請を無視し、インドネシアとともに戦った。日本の武器をインドネシア軍に渡し、ともに血を流したのだ。
その結果、多大な犠牲者を出しながらオランダ軍を排除し、インドネシアが独立国家として認められることになったのだ。
今となっては美談として語り継がれているが、その裏側にも様々な出来事があっただろう。歴史を語る上ではどこからの視点で語られるのかによって物語は大きく変わっていってしまう。諸説あるのは承知の上でこの物語を書いたわけであるが、インドネシア人が学校で習う歴史的事実は概ねこのような物語となっている。
インドネシアが世界最大の親日国家といわれている所以はこのような歴史的事実に基づいているのだった。
我々サーファーがバリ島を含めインドネシア各地でフレンドリーに歓迎されている裏にはこのような歴史も関係している。日本のために、そしてアジアのために命を賭して戦ったご先祖様への感謝の気持ちを忘れてはならないのだ。
合掌。
